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50年前は高校球児

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かって甲子園の土を3回踏んだ先輩達がいる。
その母校 長野県伊那北高等学校に6人の球児と端くれマネージャーを務めた私が後輩としていた。
甲子園を知らない当時のチーム約30名の内同期七人の侍である。

昭和40年(1965年)夏、長野県大会。丸子実業高校戦に惜敗、甲子園の夢は破れた。
それから50年後の2014年11月10日
7人の侍が諏訪の海の畔で一堂に会した。はずであったが約一名多忙につき欠席。

母校のある伊那谷を縦貫する天竜川の源諏訪湖の畔、上諏訪温泉郷。
伊那谷にも温泉は豊富にあるのだがたまには圏外の温泉街での同期会だ。

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私も中央高速飛ばして紅葉の八ヶ岳を右に見てお諏訪入り。

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幹事役のТ君はすでにチェックイン&部屋飲み飲料確保でお待ちかね。
先ずは展望風呂で癒しの一時。

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その後次々と兵どもの参集。
同期七人の侍、その50年後の横顔は・・・・
悠悠自適生活のために今までの事業整理中の ショートストップ T君
伊那谷の銘菓店を息子社長と飛ぶ鳥落とす勢いで経営する会長の ファースト S君
長男夫婦と燃料とお米を供給する伊那のトップ商店主、 ピッチャー N君
農業を「趣味化」してその村の世話役で東奔西走する、 レフト I君
67歳にして新たに更なる起業した センター S君
今回は欠席したが伊那谷一の多忙な名士、 サード М君
そしてそして唯一伊那谷離れた越谷の自転車海苔、 ベンチキーパー nebaneba君

高校卒業後東京での大学在学中を含め娑婆に出ても頻繁とは言えないが仲間の結婚式等をはじめ不定期での同期会の機会は保ってきた仲間である。

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会えばこの日も高校当時の武勇伝はもちろん家族や孫の事、はたまたアベノミクスや中国&世界経済等々尽きぬ話題で盛り上がる。
部屋飲みからそしてそのまま夕食会場へ。そして再度の部屋飲みへ。

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流石に現役時代のあの旺盛な食欲はない、宿が用意した豪華料理を完食した者はいない。
軽い肴で甲子園への夢を熱く熱く尽きる事無く語り夜は更けてゆくのでありました。

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さて、明けて翌朝。加齢は早起き、まだ暗い4時半にもそもそ起きだす輩も。
朝湯を浴びて朝食
尽きぬ談笑。更に更にホテルロビー脇の茶店でラスト名残の珈琲。

その後ようやく
各々一国一城の主どもはそれぞれの守備位置へ散っていくのであった。

老い先短いか永いか何時誰が欠けるかわからぬゆえに今後は毎年同期の会を開くことにした。
もちろん来年の再会の日付は決定済である。

nebaneba君もその日の午後には職場復帰したのでありました。とさ。
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